タウンネット下呂市萩原町版

『白山公園 その歴史を訪ねて』 ― 桜、白山社、白山野 ―

掲載日:16年04月09日(土)
掲載者:羽根区

白山公園は、かつて白山社のあった所です。白山社が創建された時期は定かではありませんが、「羽根野開拓」の頃と伝えられています。「白山社は、天文五年丙申(一五三六年、豊臣秀吉の生まれた年)、益田川の大洪水によって流失し、字丸島にあった八幡社とともに宮谷神明宮に合祀され、三社大神と称した」という古文書の記述(『続川西村誌』)があることから、今から約四百八十年以上前まで遡ることは確かです。
この境内は、松、桜、榎、無患子(ムクロジ)、丹波栗等の大木が、原始林を思わせるほどに生い茂り、風光明媚な公園として地方の民に親しまれ、桜の開花する頃には遠方からも多くの人々が花見の宴を催して賑わったようです。
時代は下って、明治維新になると、高山県知事の梅村速水がここに陣所を置き、隣地の白山野(しろやまの)で兵士の調練を行いました。また、戦前までは、益田郡最大の広場として、在郷軍人会の演習場、青年団訓練所、陸上競技場、競馬場にと、郡内でも名の知れた場所でした。(写真左下は『川西村誌』より)
大正時代に入ると、幾度かの台風と虫害によって、大木が次々と枯れ、樹齢四百五十年と言われるエドヒガン桜が鼎のように三株だけ残りました。この桜は、蕾の多少によって農作物の吉凶を占ったことから「世の中桜」と称されるとともに、男女の祖神として良縁を叶える「叶桜(かなえざくら)」としても崇められたという言い伝えもあります。 市内でも有数の歴史と大きさを誇る桜ですが、三本のうち一本は枯れて、現在では二本となっています。
白山公園の正面には、川西村初代村長の都筑輿七郎の功績碑、その左手には高山県知事梅村速水、田中耕成、都筑英袁、征台軍人の功績碑が並んでいます。また、右手には、馬頭観音が四体、その手前には魚類慰霊塔も建っています。

春疾風(はやて)桜散らして南方へ川面に浮かぶ花びら哀し
                         (読み人知らず)


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